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美容整形って世間でイメージするほど悪いの?世間の感覚と美意識について思ったこと

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「整形(美容整形)」と聞くと、みなさんは良いイメージ、悪いイメージのどちらを持つだろうか。

私は世の中でいうと悪いイメージのほうが多いのではないかと思っている。なんとなく生きていて「この女整形顔だわ笑」「こいつ整形アイドルじゃん」みたいな声をよく聞く気がするので。

もちろん最近は整形していることをカミングアウトする著名人も増えてきたし、お隣の韓国などでは整形は盛んなことである。プチ整形、なんてものも出てきて、比較的昔と比べると偏見は取り除かれたというか、誰しもが気軽にすることができるものになったと言えるだろう。

しかしよく考えたら、なぜ自分の容姿を高めて理想に近づけようとすることが悪いのだろうか。私自身は整形はしたこともしようと思ったこともないが、今回はその理由について考えてみようと思う。

なお、この記事は完全な主観で書かれているものなので、あまり議論の余地はないかもしれない。また、自分の思ったことを整理することが目的なだけなので、特に整形の良し悪しについて意見するつもりはないという点だけ念頭に入れてもらいたい。

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目次

整形が悪(?)とされる理由

感覚の問題?

まず、整形に対して悪いイメージを抱かれる理由を挙げてみよう。

  • 整形で後遺症が残る可能性がある、失敗する可能性がある
  • お金がかかることだから
  • 自然な美を良しとしているから
  • 自分の生まれ持った容姿に自信を持てばいいだけだから
  • なんか気持ち悪いから

広くまとめるとこんな感じだろう。

後遺症や手術にかかる施術の失敗に関しては近年の医療技術の向上を持っても否定できないが、残りのものは感覚的な部分が大きいのではないかと思う。

例えば、お金の問題については見た目を美しくしようとお金を掛けることは、別に趣味にお金を掛けたり習い事にお金を掛けることと本質的には変わらない(金額の代償はさておき)はずだが、「顔いじることだけにそんな大金を掛けるのはけしからん!」的なニュアンスがあるように感じる。
他の理由も、「なんか自分の見た目が気に入らなくて顔を変えようとしているの、気持ち悪いな~」といった部分が大きいのかと思う。

私も理屈は説明できないが、なんとなく心の中でモヤモヤする気がする。別にそんなの個人の勝手じゃね?と思うような気持ちもあれば、その主張も感覚的には分からなくもない。

もう少し深く考えてみると、普段の自分の生き方としては自由を尊重すべきだとは心の中で思っているものの、なんとなく世間の風潮で整形が良くない、といったイメージを刷り込まれているからそういった葛藤が生まれるのではないかと思う。

つまるところ、私も世間も、結局はなんとなくのイメージで整形について捉えてしまっているのだ。

昔と過去の整形技術

では、そもそもなぜ世間でこれが良くないものとされているのかというと、「なんとなく気持ち悪い」からなのではないだろうか。そして、議論が私の考えから一周回って戻ってきてしまったが、その「なんとなく気持ち悪い」とは何だろう。

私はこれは、明らかに整形だと分かるような不自然(生の人間ではあまりない)な顔から引き起こされる「不気味さ」に由来しているのではないかと思っている。「整形顔」というワードが存在するのも、「整形だとすぐに分かる顔」の人がいるからそこではないだろうか。

これは森政弘が考案した不気味の谷に近いことが昔起こっていたからではないかと思う。
詳しくはググってもらえればいいのだが、不気味の谷というのはロボット工学や美術で用いられる概念で、ある程度人間に近い見た目のものができると嫌悪感、不気味さを覚える谷に突入し、それよりさらに人間に近づくと不気味さは減少していくというものだ。

個人的な話をすると、高校時代に研究していた音声工学の分野においてもこういった不気味の谷は存在する。昔のSiriなどの音声を聞いてみると、少し不気味な感じがするだろう。
ただ、現在の合成音声の技術の発展は凄まじく、特に英語なんかだと人間と比べても遜色ないレベルになっている。

話がズレてしまったが、これと同じで昔は技術の問題で整形顔なるものが存在しており、整形に嫌悪感を抱く人がいたのではないだろうかと考察する。実際、こちらのサイトによると、中年層の男性は大半(75%以上)が整形に対して否定的な考えを示すようだ。

データもなにもないが、「今の若者に整形はどうか?」と聞いてみると、中年層よりも肯定的な意見を示しそうな気はする。これには多様性多様性と刷り込まれてきた若者世代の考え方の特徴もあるだろうが、技術が進歩してある程度自然な仕上がりの整形が可能になったというのも関係しているのだろう。私は時代ごとの整形技術に関して特にリサーチしていないので細かいことは分からないが。

まあ多様性多様性と刷り込まれた結果こういった世論ができ上がっていくというのも皮肉なものだが、とりあえず整形顔的なものに不気味さを覚えるから嫌がる人がいるのではなのではないかという気がしてきた。

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結局は自分の意見の擦り付け

他の

  • 自然な美を良しとしているから
  • 自分の生まれ持った容姿に自信を持てばいいだけだから

という理由についてもさらに考えてみると、「親からもらった顔なんだから大事にしろ」「本質は自己肯定感なのだから、顔を多少変えるとかの問題じゃない!」などという意見も飛んできそうな気もする。
確かに、そもそも大幅に見た目が違うとなると生まれ持った自分の体に対して失礼、本当の自分がどこにあるのか分からなくなってしまいそうで怖い、という考えも分かる。

こちらも同様に主観での話になるので、その人がそう思うのなら反論のしようがない。ただ、合理性がなく感覚的に整形をやめろと言うのなら、「こっちがやりたいんだからやらせろ」という理屈がブーメランで通ることにはなる。

人はなぜ整形をするのか

自分のための整形?

今や美容整形は男女問わず行われているものだが、話を分かりやすくするために以下は主語を女性に置き換えて話をしてみる。

なぜ整形をするのかと言えば、もちろん自分の見た目にコンプレックスを持っている、気に入らないところがあるからだろう。

例えばこちらのサイトを見てみると、10代の人は目に8割の人がコンプレックスを持っているという調査結果になっていた。また、賛成反対についても、メイクなどをするような感覚で美容整形に賛成していることが分かる。
よっぽどの人でなければ、俳優さんや女優さんと自分の顔や見た目を比べてコンプレックス、そこまで行かないまでも憧れを感じたことはあるのではないかというのは頷ける。

ただこういう見た目の問題は、「社会的にもっとよい扱いを受けたい!」「あの人に振り向いてもらいたい!」といった具体的な目標ではなく、結局自己満足のためというところに帰着することが多い。
中には「見た目が原因でいじめを受けてきたからそれを変えたい」という人もいるかもしれないが、おそらく多数の人は自己満足の問題だと思うので、そう仮定して議論を進めることにする。

終わりなき自己満足

この自己満足の厄介な所は、根本的に精神状況が改善しない限り、どこまでいってもキリがないという点にある。
なんか鼻を良くしたと思ったら、「あ~あの人みたいな鼻がいい」「前はいいと思ってたけど目も変えたい」などと無限に欲望が湧いてきてしまうものだ。

これに対して一つ言えることは、(もちろん私も人からの見た目や容姿に気を使うが)実際のところそんなものを気にしているのは自分だけなのである、ということだ。確かにパートナーや好きな人だったら気にするかもしれないが、街中で関わるような大半の人の今日の服装や顔を覚えているだろうか?

スポットライト効果か何か(忘れた)の研究で、変なTシャツを着て人前に出たらどれくらいの人が注目しているか、自分の意識と実際の他人からの評価を比較してみるというものがあった。
結論、自分が思っているほど周りは自分のことを気にしていなかった、ということが判明していた。

つまり、整形したいなと本人は思っていても、本質は自分の理想に近づこうとしているだけで、そこまで客観的には気にする必要はないのではないだろうか。それどころか、「この人顔がいい!」と思ったものの後で整形が判明したら少し驚く人もいるかもしれない。

また、パートナーについても同様のことが言える。中学や高校、街中で、正直そこまで顔は良くないけど美男美女と付き合っている人は見たことがあると思う。別に世の中は顔(いいに越したことはないと思うが)だけが全てではないので、整形せずとも精神やらその他のスペックやらで改善できるところはあるのだ。

ただ、そう理屈では分かっていても気持ちは晴れ晴れしないので、整形に限らず自己満足という世界は罪深いものである。結局、自分でこれくらいしたら満足!といった具体的なラインを設定した上で整形するとか、そもそも今の自分を愛せるようにメンタルを変えていくとかをしない限り、この問題に終わりはない。

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どこまで整形は許容されるの?

見た目を変えるということ

今までの話をかみ砕いてみると、私としては「整形顔のような不自然な顔」という先入観に始まり、「自分の見た目を大幅に変えてまで虚偽の容姿を作り出していること及び、その精神の持ちよう」に対して気持ち悪いと感じている人が多いのではないかと思う。別に個人の勝手じゃない?という気はするけど。

ただ、ここで私が気になるのが、どこまでだったら一般に整形は許容されるのかということ、そして何をもって美容整形とするのだろうか、ということだ。

まずそもそも、「見た目を変える」という点に関しては、別に整形にかかわらず誰しもが行っていることである。
ここでは「誰もあなたの見た目は気にしてないんだから見た目を向上させようとすることが良くない」などという意見については議論しない。

自分だって眉毛の形を整えたりすることはあるし、みんないい服、時計、靴でカッコつけようとする。ムダ毛処理をしている人もいるだろうし、メイクをする人もいる。髪型をわざわざ美容院に行って高いお金を払って整えてもらうことだってそうだ。

これは整形と何が違うのだろうか(美容整形という言葉の定義の話をしているわけではない)。流石に全裸でいろというわけではないが、本来の自分のありのままの姿に見た目の変更を加えようとしているという点では同じではないか。

眉毛やムダ毛などの体毛処理だって本来はしなくていいことだし、服だって自分を着飾ってよりよい容姿に見せようとしている。それ自体は当たり前のようにみんなしていることだ。

そうなると、「じゃあどこまでが許せる見た目の変更なの?」と言われると分からない。なぜ眉毛の形を剃刀で変えるのは良くて、二重切開をしたら気持ち悪いと感じる人がいるのだろうか。

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整形の不可逆性

整形との違いとしては、強いて言えば手術して切開などしてしまったり鼻の形を変えたりすると元に戻しにくいからだろうか。私も最初はファッションの変化は可逆だが、大きく手術をしてしまうと不可逆的なので、そこだけが違いな気はすると思った。

というのも、私は新しいことに挑戦するのは大好きな性格だが、後になって後悔が生まれても元に戻せないことはしたくないと考えているからだ。
例えばマレーシアに留学だって、自分にそれが壊滅的に合っていなくてお金と時間を無駄にする可能性はあるわけだが、嫌になったら帰ってくればいいし、そこから日本の大学を再受験して人並みの生活に戻ることは可能だ。

ただ、じゃあどこまでの整形だったら元に戻した扱いになるのかと言われたら定義できないし、そもそも色を戻せる「髪の毛を染める」という行為にすら懐疑的な意見を抱く人は世間にはいるので、これも本質的な理由ではないのだろうと思う。
「糸を外せば戻せる二重整形」があったとして(そういう可逆的な整形もあるらしい)、これは可逆的だから気持ち悪くないのかと言われたら、全員が心からOK!というわけではないだろう。

では、本格的な美容整形は家でできる体毛処理のような手軽なものではなく、クリニックまで行って本気で体のつくりを変えようとしている、本気度、本格性が気持ち悪いのだろうか?
だとしたら、もし将来自分でメスを体に入れたり注射して整形できる道具が発売されたとしたらそれはいいのだろうか?カミソリとかも道具だけど?

というか、そういう人はアイプチとかは許容してるの?そもそも自分の見た目はどうなの?

などなど記事を書いていて思ったが、この問題はどこまで掘り下げてもキリがなさそうなので、このあたりで終わりにしておくことにする。何が言いたかったのかは自分でもよく分からない。
ただ、見た目を変えるということに関して、なぜファッションや美容院に拘ることは良くて、整形だけあまりよくないとする(というか批判されたりする)声が生まれるのだろうか、ということが気になった。

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