「努力は裏切らない」。小さい頃から何度も何度も聞いたことがある言葉だと思います。
主に頑張っている人に対して「努力は裏切らないんだよ、今は辛くても頑張れ!」と励ましの言葉として使ったり、成果が出た人自身が「やっぱり努力は裏切らないんだ!」と語ったりすることが多いと思います。
ですが、個人的に「努力は裏切らない」という言葉は、間違いだとは言わないまでもいささか不正確だと思っているので、今回はそれについての考えを書いていこうと思います。
この言葉が持つ意味
部活とか仕事とかで、この言葉は励ましだとかねぎらいといった文脈で使われることが多いと思います。科学的にどうとかではなく、精神論が絡んでくる場面での使用が多いわけです。
そして、日本において精神論が絡んでくる時というのは、「諦めるな」「まだまだいける」みたいなそれっぽいことを言っておけば良さげな空気になるので、言葉の本質は重視されません。
「努力は裏切らない」についても同様のことが言えて、使い手としては「とりあえず諦めずに頑張るほうがいいよ」みたいな意図が伝われば良いと思っているわけです。
世の中には才能というものがある
努力は報われるとは限らない
しかし、ここで残酷なことに、努力はしたからといって報われる(裏切らない)とは限らないという側面があります。頑張ったからといって全員が報われるようじゃ世の中苦労しません。綺麗ごとだけ言っていても仕方ないのです。
例えば、私が今から人生の全てを費やして100m陸上に全振りしたとしても、ウサイン・ボルトの記録を破ることはできないでしょう。世の中には向き・不向きというものがあります。生まれつきのルックスの良さ、実家の太さ、地頭の良さ、運動神経の良さ、アルコール耐性など、基本的に世の中の大体のことは才能です。
例えばベンチプレス100kgを上げられるかどうかで言えば、初心者から3ヵ月で達成できてしまう人もいれば、3年以上かかる人もいるでしょう。ここで言う前者は、後者と比較して相対的に才能があると言えます。
しかし、あくまで才能は相対的であるということに注意が必要です。ここでも、もしかしたら一ヵ月で達成してしまう人もいるかもしれないし、なんなら初日に軽々ベンチプレス100kgがいける人もいるかもしれません。
自分が求める成功、結果がどれくらいなのかを再度確認し、それに対して才能が十分なのかを吟味する必要があります。
世界一位を取る才能は無くても、街で一番の才能で満足できるならそれで良いのです。または、才能がないと自覚しつつも、目標が努力だけで到達可能だと判断したならそれで良いのです。
「石の上にも三年」は嘘
「石の上にも三年」という言葉があるように、日本人はなんでもがむしゃらに頑張ることが美徳だと思っている性質があります。
しかし、向いていないと思ったことは続けなくて良いです。それが苦痛でないなら良いですが、大半の人は結果が出なさそうだと分かっているのに続けるのはしんどいと感じると思います。
才能の有無に関係なくおおよその人が達成可能であろう目標はあると思います。例えば、成人男性ならベンチプレス100kgは適切なトレーニングを継続して積めば到達することができると言われています。
そういうほぼ才能は関係なしに努力のみで到達可能な目標に向かって頑張っている人に対して、「努力は裏切らない」「石の上にも三年」などと言って導いてあげるのは正しいと思います。
ですが、才能も絡むようなハイレベルな目標に対して「才能なんて関係ない!」といった具合で綺麗ごとを言うのは、本人の時間を奪っているだけです。
人生の時間は有限です。目標のレベルによっては努力だけで解決できるかもしれませんが、才能があって一定のレベルになるのに1年だけで済む分野と才能が無くてそれに10年かかる分野だったら、前者に時間を費やしたほうが結果を出すという観点から見たら有意義でしょう。
ちなみに、楽しいことと才能があることは必ずしも同義ではないということに注意が必要です。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、楽しいと感じられることも一つの才能、適正である可能性はあります。ですが、やっていて楽しいし好きなんだけど才能はない、ということも往々にしてあり得ます。
がむしゃらに努力すればいいってもんじゃない
方法と量も同様に大切
また、結果を出すためには才能だけでなく、方法と量も大切です。
分かりやすいのでここでもベンチプレスの例を出します。
方法の面で言うと、毎日がむしゃらに筋トレしたからといって筋肉が付くわけではありません。時々休みの日を入れて筋肉の超回復を挟まないといけません。
これを知らずに毎日限界までトレーニングをするのは方法として間違っているということになりますし、結果に対して遠回りになるでしょう。
また、量も大切です。ベンチプレス100kgを目指したいのに、ジムは1ヵ月に1回しか行けません!となっては、いつまで経っても達成できないことでしょう。
才能に併せて、方法と量が正しくないと結果を出すことはできない(もしくは非常に遠回りになる)のです。
正しい「努力は裏切らない」の解釈
ここまでの考えを持って、「努力は裏切らない」という言葉を正しく解釈してみると、
「正しい方面(分野)に、正しい方法で、正しい量だけした努力は裏切らない」
ということになります。
ただし、これについても努力が裏切る(=結果が出ない)をどう定義するかにもよります。県1位を目指すのと世界1位を目指すのでは必要な才能や努力量も異なります。
これらの目標とそれに必要な才能、努力の方法や量を上手に計算して、それが合致していた場合にのみ結果が出るのです。
ただし、才能などを見極めるためにも努力はある程度必要
私は、世の中で成功している人は、
- たまたま自分の才能がある分野に出会えて
- たまたま自分にあった方法で
- たまたま努力が継続できた
からだと思っています。もちろん彼らの努力は想像を絶するものでしょうが、そこに至るまでのプロセスも含めて偶然の産物なのです。
もしイチローが野球に出会っていなかったら、今の彼ほどの活躍は無かったことでしょう(もしかしたらサッカーで結果を出しているかもしれませんが)。
では、どうやってそういった成功ルートを再現したらよいのでしょうか?
これは、もう単純に打席に立つ回数を増やすしかありません。特に才能なんてものはどこに埋もれているのか分からないので、数撃ちゃ当たると思って色々な体験に手を出すしかないのです。
もしかしたら料理の才能があるかもしれないし、将棋の才能があるかもしれないし、絵の才能があるかもしれない。
そして何か新しいことを始めようと思ったら、それをある程度やってみて、同時期に始めた同い年くらいの人を複数名観察し、それと比較してみましょう。そうすれば、自分がその分野に対してどれくらいの才能があるのかが分かります。
ですが、やってみたところで才能のある分野に出会えるとは限りません。出会えなかった場合は凡人として一生を終えることになります。人生は運ゲー要素がかなりあるんだなと考えると、世の中は残酷なものですね。