令和6年の1月1日、16時10分ごろに石川県能登地方をマグニチュード 7.6の地震が襲った。地震から約1年経った2024年の12月中旬に、被災地の状況を見に行くことにした。
マレーシアなどでは地震がほとんど発生しないので、留学中に地震災害についてははあまり気にしたことがない自分がいた。自分は関係ないとは言わないまでも、どこか他人事だったのかもしれない。
そしてその際、もともとは金沢のあたりを旅行する計画だったのだが、親に日本の地震の被災地の状況を自身の目で見てはどうかと提案された。
東日本大震災の影響を間接的に受けて引っ越しをした身とはいえ、こういった地震の被害状況は写真でしか見たことがなかった。そのため、一度そういった風景を見ておくことも必要だと考え、被災地に向かうことにした。
今回はそちらの被害状況を見てきたので、記録に残しておこうと思う。
以下のコンテンツには、地震による被災地の状況を撮影した画像が含まれています。被災地の様子に関する写真は、ご覧になる方によっては心理的な負担を感じる可能性があります。ご自身の判断で閲覧をお控えください。
金沢から輪島まで
今回は、震度7の被害を受けた輪島市を見に行くことにした。志賀町でも震度7が観測されたようだが、時間の関係上輪島に絞ることにした。
移動手段として、金沢駅前店のスカイレンタカーで軽自動車を1日レンタルした。ガソリン代と併せて、大体8000円くらいかかった記憶がある。
金沢から輪島までは2, 3時間ほどかかった。
のと里山海道という道を真っ直ぐ走ると輪島に到着した。のと里山海道は海風が強かったので、運転が若干怖かった。
道の駅 輪島と昼食
道の駅 輪島があったので、一度トイレ休憩を挟むことにした。海が近いからか寒かった。
道の駅のすぐ隣には、阿づま寿しというお寿司屋さんがあったので、お昼ご飯として海鮮丼を食べた。
店主の方にお話を伺うと
- 地震よりもその後の雨のほうが大変だった
- 水道が通るまで2, 3ヵ月かかった
- 今は一応生活はできるレベルになった
- 港のほうは崩れた建物もまだたくさんある
- 市場などは閉まっている
とのことだった。被害の跡はまだ残っているようだ。
ちなみに、輪島には電車は無いらしい。金沢からのアクセスの際、のと里山海道で崩れている場所もいくつかあったため、救援物資などを送るのに大変だったのではなかろうか。
道の駅では輪島サイダーなるものがあったので飲んでみた。お米の味がした。
輪島港付近の被害状況
その後、店主の話を受けて輪島港の辺りに行ってみた。正確には輪島朝市の辺りだ。
港の辺りはやはり被害が大きかったようだ。
道の駅に行くまでは倒壊した建物はあまりなかったが、この周辺では倒壊した建物や、建物があったであろう跡がたくさんあった。
さらに港の奥の方にも行ってみた。工事車両がたくさんいて、復興にあたっている様子が見えた。
白米千枚田付近の被害状況
港から10kmほど離れた千枚田にも行ってみることにした。
千枚田に向かう道中、斜めになった信号機を見つけた。信号機が固定されている地面からコンクリートごとえぐられており、地震の力を身にしみて感じた。また、倒壊した建物はこの付近にもあった。
千枚田自体は見ることができたが、そのすぐ横の道の駅 千枚田のお店は閉店していた。トイレのみ利用可能だった。
千枚田を見た後は、また2, 3時間かけて金沢に戻った。
終わりに
被害の状況からするにまだあまり復興はできていないようだが、一応現地の人たちは生活は送れていると言っていた。
ただ、天気も相まってあまり街に活気が無かったように感じた。温泉などのお店も閉まっていたところが多かったものの、2024年12月の段階では避難所の状況自体は大幅に改善されているらしい。
もともと輪島の人口があまり多くないためこの程度の活気なのか災害の影響を受けてここまで活気が無いのかは判断が付かないが、恐らく後者だと思われる。
そう遠くない未来に南海トラフ地震や首都直下型地震が来る可能性が高いと言われているが、この災害の状況を見て、災害についてこのまま他人事として捉えるのはまずいなと思った。いつ自分や家族、大切な人がそういった被害に遭うかは分からない。
私には被災地の復興が早く終わるようにと祈ることしかできないが、マレーシアからでもそういった状況の人がいることは心に留めておこうと、今回の被災地のレポートを通じて思った。