思想録シリーズ、気づけば今回で三作目です。オーストラリアに来てから、また考えごとが増えてきたので、いくつかまとめておこうと思います。

一つのスケールで競うことの危うさ
頭のいい人はとりあえず医学部を目指します。優秀な大学生はとりあえず戦略コンサルに行きます。
偏差値、企業のブランド、年収。日本人に限った話ではないと思うけれど、こういう一つの物差しでみんなが競争するのが好きだなと感じます。
レースに乗ること自体が悪いとは思いません。ただ、自分がやりたいことをやる、くらいの温度感でいいはずのものを、いつの間にか一つのスケールでの順位争いにすり替えているなら、それはちょっと毒されているんじゃないかとも思います。
例えば、「一流企業」という言葉を、大企業とほぼ同じ意味で使ってしまっていること自体が、もう資本主義的なスケールに毒されすぎている気がします。会社の規模や年収の高さと、「一流かどうか」は本来別軸のはずです。
例えば年商1000万円も全然ないような駄菓子屋さんでも、地元の人たちの憩いの場になっているのであれば、ある意味では立派な一流だと思います。
一つのスケールで競っていると、自分より上にいる人が必ず存在します。だから、いつまで経っても満たされませんし、みんなが同じ物差しで競っている世界も、単純にあまり面白くないなと思います。
だからこそ、自分がどの物差しで生きていきたいのかを、たまに立ち止まって確認しておきたいと思います。
海外大学はビジネスとして運営されている
海外の大学は、日本の大学よりもビジネス寄りな部分が大きいと感じることがあります。
マレーシアの大学は、足元を見て学費や家賃をどんどん値上げしてきます。自分が来た頃は月RM1200くらいだった同じような部屋が、今はRM1600〜1800くらいするという話も聞きます。
オーストラリアも似ていて、そもそも留学生向けの学費が自国民向けの何倍にも設定されているのが普通です。同じ授業を受けているのに、価格だけ何倍にもなっています。
教育とビジネスをしっかり結びつけているなという印象で、それ自体は一つの正解だとは思います。ただ、自分としてはあまり得意なやり方ではないな、と思います。
留学生依存の危うさ
一方で、留学生をビジネスとして扱うことには、収入源としての危うさもあります。
地元の友人によると、オーストラリア国立大学のような大学も含めて、赤字になっているところが少なくないらしいです。キャンパスは無駄に広いのに、コロナ以降は留学生の数が思うように戻らず、その影響を受けているという話でした。
海外Yパパラジオというチャンネルの動画でも、オーストラリアの大学が留学生、特に中国人留学生への依存を強めてきたこと、そしてその数がここ数年で大きく減っていることが取り上げられていました。
本来いなくなるかもしれない存在に、収入の計算をそのまま乗せてしまっています。構造としてはかなり危ういことだと思います。
これは大学の話に限らない気もしています。自分の人生でも、本来いなくなるかもしれないもの、変わってしまうかもしれないものに、大事な決定権を丸ごと預けるのはやめようと思いました。
マレーシアでTikTokをやっている人の限界
マレーシアで日本語で発信している人のTikTokやYouTubeを見ていて思うのが、パイの小ささです。
以前、Kopi Chatというプロダクトの振り返りノートでも書いたのですが、対象を「マレーシア × 留学 × 日本語」の3つの掛け算で絞ると、母数はかなり小さくなります。マレーシア在住の日本人留学生自体、全体で1500人くらいしかいません。

実際に分析してみると、この3条件を固定したアカウントは、TikTokでもYouTubeでも大体1000〜3000フォロワーで頭打ちになります。Xだともっと厳しく、フォロワー1000人を超える留学生アカウントはほとんど見たことがありません。
これをスケールさせるには、3つの軸のどれかを緩める必要があります。国を緩める(世界の留学を扱う)、属性を緩める(留学生に限らず英語学習者全体を狙う)、言語を緩める(マレー語や英語でも発信する)。実際に上限を超えている人は、大体どれかに当てはまります。
それでもいいと思う人はそれでいいと思います。ニッチだからこそ刺さる情報もあります。ただ、小ささを分かった上でやるのと、気づかないままやるのとでは、後々の心構えがだいぶ違う気がします。
マレーシアでSNSをやること
自分はXのフォロワーが1700人くらいいます。ブログも、マレーシアで留学生がやっている個人メディアとしては、多分一番大きい規模になっていると思います。
そのおかげか、大学でちょっと話しただけで「Rayさんですか」などと声をかけられることも増えました。ありがたいことではあるけれど、正直プライベートが少しずつ侵食されている感覚もあります。
個人を特定しやすい規模の国だからこそ、例えば何かで恨みを買うと陰で言われたことが広まりやすいです。プライバシーの面でもリスクは大きいですし、SNSで顔を出している人なんかはなおさら危ういなと思う部分もあります。
一方で、狭い国だからこそ面白い人と会いやすいです。自分のことを知っているからこそ、自己紹介がしやすいというメリットもあります。発信をしていることのメリットとデメリット、その両方を実感しました。
伝わる英語について
オーストラリアに来てから思うようになったのが、英語についての感覚です。
「意思疎通ができて日常生活に支障がない」ことと、「ネイティブと対等に議論できる」ことは、まったく別物だと思います。
ちょっとしたミーティングとかをこなすだけならそれでいいのかもしれません。でも、コミュニティの内側に入ったり、世界レベルで活躍しようとするなら話が変わってきます。大事なのは、ネイティブにとって負担にならない、対等なレベルの英語力があるかどうかだと思います。
マレーシア留学ではよく「いろんなアクセントがあっていい」と言われます。それはそうなのだけれど、ネイティブとして生きてきた人たちの英語と、みんなが第二言語として使う「通じ合うための英語」は、そもそも別物だとも思います。
英語で授業を理解できることと、その言語で世界レベルで活躍できることは別の話です。マレーシア留学を語る人たちの議論では、この二つが同じもののように扱われがちで、それはあまり良い議論ではない気がしています。
友達と仕事するのはやめよう
これは全ての関わりに当てはまる話ではなく、数か月単位の本気のプロジェクトや仕事に限った話です。数日間のハッカソンや大学の課題くらいなら、正直そこまで気になりません。
腰を据えて何かを続けると、友達の嫌な部分が見えてくることがあります。もちろん自分の悪いところが見えることもあります。
私は「能力が足りなくて頑張ってもできない」的なことに関して責めたことはないのですが、「連絡もなく勝手にサボる」「やると言ったことをやらない」みたいなことには結構ストレスを感じます。
これは能力の問題というより価値観のずれの問題で、だから仕事のいざこざであっても、友達としての関係と仕事相手としての関係を都合よく切り分けられる部分と切り分けられない部分があります。
こういうので人間関係のトラブルになるのが怖い人は、最初から友達と一緒に何か大きなことを始めない方がいいと思います。やるなら、目的や稼働時間、目標を事前に書面で可視化しておくと安心です。
逆に、仕事の相性がいい人が友達になっていく分には、あまりストレスを感じない気がしています。雑談が楽しい相手と仕事が楽しい相手は、必ずしも同じではありません。
終わりに
マレーシアには帰ってきたものの、こうやって気づいたら考えてしまうことは相変わらず多いです。また何か溜まったら投稿するかもしれません。

