そろそろTeenagerが終わり20歳になる今日この頃、19年間生きてみて私なりに考えてみた生きる意味の結論は、結局のところ人生は全て自己満足ゲーだということです。ふと思ったので記事にしてみました。
たかだか100年くらい経ったら死ぬし、人生は死んだらどうせ全部リセットされるわけです。
だからいくら頑張ろうと結局は無駄で、その限りある時間をいかに楽しく、自己満足して生きられるかというゲームが人生なのではないかと考えるようになりました。
全てのことは自分のため?
上記の考えが浮かんだせいかは知りませんが、世の中で人がやっていることは全て自己満足のための自分の利益が目的なんじゃないかと思うようになりました。
例えば、みんな何かしらの意味を見つけて勉強、部活、恋愛、就活、ボランティア活動や仕事を頑張ろうとしますが、結局は自己満したいだけなのかもしれません。
利益というと若干大げさかもしれませんが、
- 勉強していい大学に入りたい
- 人助けをして感謝されたい
- 部活や仕事を頑張ってやりがいを感じたい
これらのことも、結局は自分がいい気分になって、やって良かったな、と思うためにやっているだけです。
ちょっと前までは、勉強することはダラダラYouTubeを見たりすることよりも有益なことだと思っていました。確かに、20-50代などでの成功や出世を考えればそうかもしれません。
ですが、観測範囲を極限まで広げて長期的な人生という視点で見た時に、それによって得られる利益と今を楽しく生きること、どちらのほうが自己満足できるんだろうと言われると分かりません。別にダラダラしたかったらしてもいいんじゃないかという気がしてきました。頑張りすぎると必ずどこかでガス欠になりますし。
そうなると、もう自己満足のための方法が人それぞれ違うだけでみんな日常的にやっていることは本質的には同じなんだな、とすら思います。
人生の諦めで、逆に幸せになる
まあここまで書くと、なんて人生に対して悲観的なやつなんだ!と思われるかもしれませんが、そうではありません。
普段の私は様々な課外活動に取り組んだりと、割とパッションに溢れていることの方が多いと思います。しかしその分、どうしても気分が乗らない、いろんなことが嫌なことになることがそこそこあります。
それ自体は人間誰しもあるだと思うので、ごく自然なことだと思います。しかし、そういう状態は生産性が低いので、早めに抜け出さなくてはいけないとも思います。そのため、大切なのはどうやってその精神状態から脱却するかです。
そういう時にこの考え方をしてみると、「人生って別にテキトーで何とかなるんだ!」という思考になるので、とても気持ちが楽になります。何かの現象や他者に対する怒りや哀れみ、自分自身に対しての不満が若干抑えられます。
そもそも宇宙の長い歴史と大きさから考えたら地球なんてちっぽけで、地球と比べても自分の人生なんてさらにちっぽけなもんです。そんな人生ごときで多少のトラブルがあったとして、だから何だというのでしょうか?
仮に私やあなたが今力尽きて死んだとしても、別に明日の地球は何も変わりません。
皆自分に自信をもって気張って生きていこうとしていますが、自分で思っている以上に自分はちっぽけで、大きな規模でみたらどうでもいい存在なのだと思います。
そういう規模で意外と人生は無駄なんじゃないかと考えてみると、逆にいい意味で諦めがついて気分が少し楽になります。私の場合は特に完璧主義的なところがあるので、結構効果的です笑。
ここ最近モチベが下がることが多くなったので、自分自身を励ますという意味でふらっと書いてみました。