私は中高と将棋を趣味でやってきて、大会では県1~3位なども経験したことがあります。でも、今はマレーシアに留学中なので、周りに誰もできる人がいなくて悲しい…
そんなわけで最近あまり将棋に触れていなかったので、今回はそんな私と将棋の思い出を語っていこうと思います。
将棋との出会い
小学生時代の思い出
将棋を本格的に始めたのは中学1年生の頃です。とはいっても、実は小学2年生の頃に将棋に触れるきっかけはありました。
小2の担任が大の将棋好きで、たくさんの将棋盤を用意してクラスのみんなで将棋をやろう!みたいな感じになっていました。ルールも先生が教えてくれて、休み時間に教室で将棋をやっていました。
その先生も先生でヤバくて、最終的には授業を爆速で終わらせて授業中にみんなで将棋とかをしたり、クラス内でリーグ戦が開催されたりしていました。
まあその先生は職員会議でシバかれたそうですが、関西出身でお笑いが大好きで面白い恩師でした。
というわけでルール自体はこの頃から認知していたんですが、本格的な棒銀戦法なども知らないし詰将棋もやったことがない、といった感じで、ほぼ初心者みたいな感じでした(なんかの大会に出ていたのかも?)。
ただ、小4で田舎の学校に転校してからは特に将棋をやっていませんでした。
たまに学校の友達に誘われたときに地元の将棋所に顔を出してみたり、大会に何回か出た記憶もありますが、この頃は強くなかったので当然何も実績はありません。
将棋をガチろうと思った頃
それから時が経ち、本格的に将棋を頑張ってみようと思ったのは中1の頃です。
きっかけは、中1で同級生が将棋の県大会で優勝して表彰されているのを見たことです。
それを見て何を思ったか「自分だってそんくらいできるし」という謎の対抗心を発揮してしまいました(負けず嫌いな性格だった)。
そこから本を読んだり地元の将棋クラブに通ったりして、頑張って勉強しました。その結果、始めて一年経たない位でその友達にも勝ったり負けたりするレベルにはなれ、中2では県大会で一位(その子と組んだ団体戦)になれました。中3では、中1に強い後輩が沢山現れたため県3位とかベスト8が限界でした。
この頃は居飛車党で、主に極限早繰り銀を使っていました。時々向かい飛車も使っていました。
将棋ウォーズというネットソフトで実践練習をするのが好きで(UIがカッコイイ)、休みの日はよく将棋の勉強に時間を使ったりしました。免状は発行していませんが、中学生の段階で段の実力はあったと思います。
ちなみに、中2, 3では東日本大会などの上位大会にも出場させてもらったんですが、全然歯が立たなくてしっかりボコボコにされたので悔しかったです。
ちなみに、私の県には、小学生~高校生部門の入賞者のほとんどが通っている、とある将棋クラブがあります。後ほど振り返ってみると色々賞を取っている中でそのクラブに通っていないのは自分だけだったんじゃないかという気もして、若干嬉しかったりもします。
あとは、中学生の頃に大会で圧倒的に強いな~と思っていた子が一人いたんですが、その人は後に奨励会に行ったという噂を聞いてすごいな~と思った記憶があります。地元はあんまり奨励会員がいない県だったので。
高校生活と将棋
高1の思い出
高1の部活選びをするとき、私は部活は緩いものに入りつつもある程度の実績を残したいとかいう、非常に欲張りな願望を持っていました。
母校の将棋部に入るに当たっては、中学時代に既にある程度の実力があった+雰囲気や先輩が良さげ+緩い割には県内強豪校だった、というまさに完璧な部活だったので迷わず入りました。
先輩とも一緒に帰ったりして楽しかったです。ただ、将棋の悪いところは、男女比率がオワっているため、将棋ができるからといってモテるわけではないというところです。
あと、この部活は正確には囲碁将棋部でしたが、私は三年間将棋しかやりませんでした。今思えばもったいないので囲碁もやっておけば良かったな、と思いつつ、他に囲碁ができる先輩もいなくなってしまったので仕方ないですね。
中学時代から大会で名を轟かせていた有名な研修会に通っていた子も同じ高校に入ってきたらしく、将棋部に入ってきました。彼はとても良い練習相手になってくれましたが、高校時代は彼がずっと県一位で私は一度も勝てませんでした。
まあ、それとは関係なく高1の頃は実力が発揮できなかったため大会で入賞はしていません。この頃、振り飛車党に転向して石田流使いになりました。
高2の思い出
高2では将棋部の部長になりました。
春の大会では県2位で、幸先の良いスタートでした。
夏の大会では、違う高校に進学した中学の頃の例のライバルと準決勝で当たるという激熱シーンがありました。せっかく優勢だったのに飛車をタダやんして負けたのは今でも後悔。
秋の個人戦は他の課外活動が忙しくてあまり練習できませんでしたが、結果は県3位でした。でも、予選で勝った人が試合のクジ運が良く準優勝していて落ち込みました。
なんか対局を見ていた大会のおじさんに「君は3~4段クラスだよ」などと言われましたが、多分そんなことはなくて、おじさんがテキトー言ってるだけだと思います。
修学旅行の後にブロック大会にも出場しましたが、こちらでは特に入賞などできず改めて自分の終盤力のゴミさを痛感しました。私は序中盤特化型で終盤力がゴミなので、この時改めて詰将棋をもっと頑張らなくちゃなと思いました。
県1位の友達と食べに行ったカレーが美味しかったことくらいしか思い出がありません。あと、向こうは多分覚えてないんですが、中学の時の上位大会で出ていた超強い人がまた同じ大会に出てて驚きました。
他にも、私の地元の大会では、入賞者に図書カードなどが副賞として配布されます。
そのため、これまでの大会では賞金稼ぎのために級位者クラス(免状持ってないし規則上OK)の部門に出て💰をかっさらっていたのですが、大会の運営に怒られて段位者クラスに移されました。
それと、この頃は部員がそこまで多くなかった(15人いないくらい)上に幽霊部員が多かったので、新規部員も勧誘してみることにしました。
まずは一年生に中学の頃の実力者がいたので勧誘しましたが、高校で将棋はやりたくないようで見事に断られました。
次に部室を興味ありげに覗いてくる一年生が何人かいたので、ルールを教えてあげたら入部してくれました。他の部活から引き抜きもしましたが、引き抜いた人が元の部活をやめて後の将棋部部長になってて面白かったです。
ちなみに、この頃はコロナの関係でシールド付きで対局をしていましたね。
高3の思い出
将棋部最後の大会は5, 6月あたりにあって、県3位でした。夏の大会も出ようと思えば出られましたが、忙しくなりそうだったのでここで引退しました。後輩とも結構仲が良かったので寂しかったです。
ちなみに、自分の代は幽霊部員がほとんどだったので、同級生との思い出はそんなにありません笑。
将棋ではたくさん賞を貰いましたが、正直中学の頃のほうが強かったのでその貯金の力です。高校では特に努力していなかったので、部活に対する充実感はあまりないです。
もっと将棋に熱心に向き合っておくべきだったのか、他のことに時間を使っていて正解だったのかは分かりません。
また、中3であまり結果が出なかった理由でもあるのですが、私の県では自分の二個下の世代が強かったです。そのため、高校では主な活躍時期が彼らと被らなかったというのも大きい気がします。
終わりに
ということで、自分の将棋人生を振り返ってみました。最後のほうは角頭歩戦法の勉強をちょこっとしていた気がします。
将棋では集中力とか先読みの思考力が養われたと思います。
また、将棋は個人競技ということもあって、闇雲に練習していても強くなりません。そのため、自分の弱点や課題点を分析してそこを潰していく力が身に付きました。他の課外活動でもこうっいった力は役に立っていると思います。
ちなみに、ここのところはやる気力がないので1~2年近く将棋に触れておらず、めっちゃ弱体化してます笑。というか、そもそもマレーシアで将棋のことを知っている人もいないので、もっと海外でも広まってほしいです!