マレーシアは、しばしば「多文化国家」のモデルケースとして称賛される。マレー系、中華系、インド系といった多様な民族が一つの国に共存し、異なる言語、文化、宗教が交錯するこの国は、表面上は調和の取れた社会に見える。
実際、私は「みんな仲良しでハッピー」みたいな、そういう印象を持ってマレーシアに渡航した。
ただ、実際にマレーシアの多文化社会を深く掘り下げてみると、その実態はもっと複雑で、単純な「共存」という言葉では捉えきれない側面があるなと思った。どちらかというと、お互いに無関心で分からないものに蓋をしているだけ、と言った方が正しいかもしれない。
マレーシアの多文化共存のリアル
マレーシアの主要な民族グループであるマレー系、中華系、インド系は、それぞれ独自の文化や伝統を保持しながら生活している。だが、彼らが積極的にお互いの文化を理解し、深く関わり合っているかと言えば、必ずしもそうではない。
線引きされたコミュニティ
むしろ、各民族は自分たちの「ゾーン」に明確な線引きをして暮らし、互いに対する関心が薄い、あるいは「わからないものには蓋をする」傾向があるように感じられる。
例えば、街中ではマレー系が集まるエリア、中華系が集まるエリアが自然と形成され、それぞれのコミュニティ内で生活が完結していることが多い。大学でも、民族ごとのグループができやすく、異なる民族同士が深く交流する機会は意外と少ない。表面的には友好的な関係が保たれているものの、心の底ではお互いに距離を置いているのが実情だと思う。

ブミプトラ政策の例
この距離感の背景には、歴史的・政治的な要因も大きく影響している。特に、マレーシアの「ブミプトラ政策」は、民族間の関係に微妙な影を落としている。
この政策は、マレー系を中心とする「ブミプトラ(土地の息子)」に教育や就職、経済面で優遇措置を与えるもので、1969年の民族暴動後の経済格差是正を目的として導入された。
具体的には、
- お役所仕事はマレー系の人種しかできない
- マレーシアの国立大学にはマレー系の人種を優先して入学させる
などの施策が導入されている。しかし、中華系やインド系の一部からは、この政策が不平等を生み、民族間の溝を深めているとの批判もある。
私は大学では中華系の友達が多いのだが、彼らはどうもマレー系の人と関わろうとしない。なんで?と聞くと、「何となく関わりづらい」と言う人もいるし、上記のような事情をボソっと話してくれる人もいる。
「罪(罪ではないけど、例として)を憎んで人を憎まず」みたいなものは頭では理解しているものの、深層心理的にはどうもあまり関わりたくないようなのだ。
逆の立場から見ても同じことを思っているのかもしれない。もちろんどちらも口には出さないけれど。
互いに「あえて深入りしない」という暗黙の了解が存在するように見える。本人たちは「仲が悪い」とは明言しないが、深い信頼関係や相互理解に基づく交流が少ないのも事実だ。

「わからないものをわからないままに」受け入れる
最初はそれでいいのか、と思ったが、こうした状況を「多文化社会の失敗」と捉えるのは早計かもしれない。なぜなら、マレーシアの多文化社会の特徴は、むしろ「わからないものをわからないまま受け入れる」という姿勢にあるとも言えるからだ。
異なる文化や価値観を完全に理解し合うことは難しい。それでも、互いに干渉せず、一定の距離を保ちながら共存するこの仕組みは、衝突を避けるための現実的な選択なのかもしれない。
この「無関心」とも取れる態度は、必ずしもネガティブなものではない。深い理解がなくても、表面的な調和を保ちながら生活できることは、複雑な多民族国家においては重要なスキルだ。マレーシアの人々は、長年の共存の中でこうしたバランスを自然と身につけてきたのかもしれない。
まとめ:共存の形を再考する
マレーシアの多文化社会は、確かに多様な民族や文化が一つの国に共存する稀有な例だ。
しかし、その共存は、深い相互理解や積極的な交流に基づくものではなく、むしろ「線引き」と「無関心」によって成り立っている側面が強い。少なくとも、私が最初にイメージしていた「みんな仲良しでハッピー」みたいなものではない。
こうした現実を「失敗」と見るか、「現実的な共存の形」と見るかは、視点によって異なるだろう。
それでも、わからないものをわからないまま受け入れる姿勢や衝突を避けるための暗黙のルールは、多民族国家としてのマレーシアが長年培ってきた知恵なのかもしれないなと思った。
余談になるが、マレーシアの「多様性」には明確な限界もある。特に、イスラム教の文化が根強いこの国では、LGBTQコミュニティに対する風当たりは強い。例えば、男性がおしゃれな服装をしているだけで「ゲイ」と揶揄されることも珍しくない。
こうした状況は、表向きの「多文化・多様性」を謳うマレーシアのイメージとは裏腹に、特定のマイノリティにとっては息苦しい環境である、とも言えるかもしれない。