大学生と言えばお酒でオールして、1限はサボる。
誰に言われたわけでもないですが、なんとなく日本の大学生の代名詞と言えばこんな感じですね。
まあ悲しいことと言えば悲しいことなのですが、(一限に限らず)大学の授業をサボることは本当に悪いことなのでしょうか?立場によって意見が分かれるポイントだと思うので、「サボるのは悪」とする立場と、「サボっても良い」とする立場の両方から考えてみます。
マレーシア留学生はビザの関係で基本的に授業をサボるのは強制的にNGなので、あくまで日本の大学生の例で考えていこうと思います。
サボるのは悪
まずはサボるのは悪、とした立場から考えられる意見です。
- 大学は研究機関、勉強機関であるので、大学に失礼
- 大学や学歴の価値を下げる
- 「学生」という身分なので、学びを全うすべきである
- 親から学費を出してもらっている場合、親不孝である
- 単に自分が怠惰なだけな場合、サボりを正当化する理由はない
- 自己管理ができない癖がついてしまう
大学は研究機関、勉強機関であるので、大学に失礼
大学は、単なる通過点ではなく、高度な知識を学ぶための場所です。
研究や専門的な学びを深める機関として存在している以上、そこに在籍する学生は学問に真剣に向き合うべきでしょう。授業をサボるということは、大学の本来の意義を軽視する行為とも言えます。
大学や学歴の価値を下げる
大学の価値は、そこに通う学生の学びの姿勢によっても決まります。もし多くの学生が授業をサボり、最低限の努力で卒業できるようになれば、その大学の学位の価値は下がってしまうでしょう。
「あの大学は授業をサボっても卒業できる」といった評判が広まれば、卒業生の社会的評価にも影響を与えかねません。
「学生」という身分なので、学びを全うすべきである
学生という立場にある以上、学ぶことが本分です。
社会に出る前の貴重な時間を、学問に充てることなく過ごすのはもったいない行為です。特に、大学生は自由な時間が多いとはいえ、それをただ遊びや怠惰に費やすのではなく、知識を深めることに活用すべきでしょう。
親から学費を出してもらっている場合、親不孝である
もし親が学費を負担してくれているのなら、そのお金は「学びのため」に使われているはずです。
それにも関わらず授業をサボるのは、親の期待や努力を無駄にする行為と言えます。自分の将来のために使われているお金に対して誠実であるべきです。
単に自分が怠惰なだけな場合、サボりを正当化する理由はない
「意味のない授業だから」「大学の制度が悪いから」といった理由を掲げて授業をサボる人もいますが、実際のところ、ただ面倒くさいだけのことも多いのではないでしょうか。
自分の怠惰を正当化するために理由をこじつけているなら、それはサボるべきではないでしょう。
自己管理ができない癖がついてしまう
大学生活は社会人になる前の準備期間でもあります。ここで「サボるのが当たり前」という習慣がついてしまうと、社会に出てからも自己管理ができず、仕事や日常生活にも悪影響が出るかもしれません。
自由が多い大学生活だからこそ、自分を律する力が試される場面でもあります。
サボっても良い
次に、「サボっても良い」と考えられる理由を挙げてみます。もちろん、病気や緊急の事情ではなく、意図的にサボる場合を前提とします。
- 大学には意味のない授業(ただ教科書を読み上げるだけ、など)も多いため、その空いた時間で有意義なことができるならサボっても良い
- お金を払っているのだから何をしても良い
- 大卒資格が欲しいだけなので、そういう制度がある社会が悪い
大学には非効率な授業も多いため、その時間を有意義に使った方が良い
大学の授業の中には、単に教科書を読み上げるだけ、出席を取るためだけの講義など、意味のないものも存在します。
そうした授業に出席するよりも、その時間をより有意義な活動に使う方が、自分の成長につながることもあります。例えば、資格の勉強をする、アルバイトで社会経験を積む、起業やインターンに挑戦するなど、別の形で学びを深めることも重要です。
将来のためになることをしているほうが、ある意味で親孝行とも言えます。
お金を払っているのだから何をしても良い
あまりこの考えを強調しすぎると「お客様は神様」的なモンスター客を生み出してしまう恐れがあるので難しいところですが、大学も大学で、教育・研究機関だけでなくビジネスとしての側面ももちろんあります。
そう考えると、大学の学費を支払っているのは学生(もしくはその家族)であり、大学の授業を受けるかどうかを決める権利は学生自身にある、とも言えなくもありません。
お金を払っている以上、その時間をどう使うかは個人の自由であるとも言えます。授業に出ないことで後悔するかどうかも、最終的には自分の責任となります。
大卒資格が欲しいだけなので、そういう制度がある社会を見直すべき
日本では、「大学で何を学んだか」よりも「大学を卒業したかどうか」が重視される社会構造になっています。
企業の採用基準も、「大卒」という資格があるかどうかで判断されることが多く、実際の学びの中身が問われる場面は少ないのが現実です。そのため、「大学の授業の内容に価値を感じないが、学歴のために通う」という学生も多いのではないかと思います。
もしそういう社会であるならば、授業をサボることを批判するのではなく、学歴社会そのものを見直すべきではないでしょうか。これは若干責任転嫁している感があるので理由に含めるか迷いましたが。
結局、サボるのは悪なのか?
こうして考えてみると、授業をサボることには賛否両論があることがわかります。
結局のところ、大切なのは「何のために大学に行くのか?」を自分なりに考えた上で行動することではないでしょうか。授業をサボるかどうかは、単なる行動の一つであり、それが良いか悪いかはその人の価値観や目的によるところが大きいでしょう。
学位をただ取りたいだけだったら、そのサボった時間で別にことをしていたほうが有意義だと思います。ただ、その場合でも「夜更かしをしていて眠いから」みたいな理由でサボるのは良くないと思います。
もし勉強したいのであれば、隅から隅まで盗める知識は全部自分のものにする勢いで授業に出たほうが良いと思います。ただ、その場合でも本当に意味がないなと思った授業だったら出なくてもよいと思います。
もし「授業をサボるかどうか」で悩むことがあるならば、「自分は大学で何を得たいのか?」を改めて考え、その答えに基づいて選択することが重要だと思います。`
余談:日本の大学と就活の仕組み、改善の余地はある?
いい文章の〆も思いつかないので余談。
ここまで授業をサボることについて考えてきましたが、そもそも「大学生活=遊ぶもの」といった風潮があるのは、日本の大学と就活の制度にも原因があるのではないか、と感じることがあります。
例えば、
- 高校までは詰め込み教育が中心で、自由な時間がほとんどない
- 進路を深く考える前に、とりあえず大学受験を目標にしがち
- 就職活動において、大卒資格が重要視される
といった背景から、「とりあえず大学に行って卒業できればいい」という価値観が生まれやすいのかもしれません。
実際、大学に進学した高校時代の友人の中には、環境の変化によって価値観が大きく変わった人もいます。大学の自由な雰囲気の中で、新たな挑戦をする人がいる一方で、目的を見失ってしまう人もいるように感じます。そうした状況を見ると、大学の制度そのものにも改善の余地があるのでは、と思うことがあります。
そこで、個人的に考える改善策としては、
- 大卒資格がなくても活躍できる社会の整備(医師や薬剤師などの専門職は別として、職業選択の自由度を高める)
- 大学入試に志望動機やエッセーを導入し、進学の目的を明確化
- 「やりたいことがないなら大学に行かなくても良い」という選択肢がもっと認知される
- 就活では大学のGPAや研究内容をより重視し、学びの内容が評価される仕組みを作る
といったものが考えられます。
大学の学びがもっと意味のあるものになり、それが社会で適切に評価されるようになれば、「とりあえず大学に行く」「大学は遊ぶ場所」という考え方も変わっていくのではないでしょうか。
現状では、大学や就活の仕組みが全ての学生に最適化されているとは言い難い部分もありますが、少しずつ変化していくことを期待したいですね。