誰もがネイティブみたいなカッコイイ英語の発音で喋れるようになりたいと思ったことはあると思います。
ただ、中学校や高校でちょっとネイティブに近づけようと英語の発音を頑張ると「あいつ何カッコつけてんの?」「なんか頑張っちゃってるね笑」みたいな、発音をバカにされる問題が今の日本では生じるようです。
またそれとは逆に、頑張って発音したものがカタカナ英語すぎてもからかわれたりすることもあるようです。
「ようです」と他人事のように書いたのは、私はそういう経験をしたことがないからです。
中学受験もしたりして治安がいい学校に入ったからかもしれませんが、英語の発音が凄かったら普通に「英語上手で凄い!羨ましい!」となるだけでしたし、高校に入ってもそんなことをような人はいませんでした。
ただTwitterなどを見ていると、中学や高校でそういう人は実際にかなり存在しているのだということが分かりました。
また、さらにショックだったのが東大でもこの現象が起こっているということです。有名中高一貫→東大に入った二人に話を聞く機会があったのですが、東大でも結構カタコト英語な人はいて、そういうクラスだと発音を頑張ると浮くらしいのです。偏差値上の仮にも日本のトップの大学ですらこれだと、もう日本人は誰も英語を話そうとしなくなるんじゃないかと思いました。
そのため、今回は英語学習中に発音をバカにされる問題について思ったことを書いていこうと思います。
英語の発音をからかわれる理由
スピーキングが当たり前の環境がない
まず前提として学校教育でスピーキング能力を鍛える機会そのものが少ないのが悪いのではないかと思っています。
スピーキングをする機会が与えられないため、英語を頑張って話すこと=特別なことという認識になってしまい、そういった場面でいい意味でも変に目立つ行動(発音)を取れば嫉妬や同調圧力みたいなものから目の敵にされてしまうのではないでしょうか。
私は高校で国際バカロレアを履修していたため授業中はオールイングリッシュでしたが、普通のコミュ英などであれば発言の機会なんてほぼないようなもんです。実際にIELTSなどの日本人のスピーキングの平均スコアがリーディングやリスニングと比べて低いことがこの問題点を物語っています。
英語はもともとはといえば受験のためではなく、喋れてなんぼのコミュニケーションツールなのですから、もっと授業に発言の機会を設けたほうがいいと思います。
採点に不公平性は出そうですが、私立大学なんかはスピーキングのテストを設けてもいいんじゃないかと私は考えています。
英語ができる人のイメージの認知
あとは、日本人の考える「英語ができる人」の像が歪んでいるのかもしれません。
実際に私もマレーシアに来る前は「海外大学に留学、海外で生活している人は、帰国子女やネイティブのような発音で英語を話すもの」だと思っていました。
ただ現実はそうではなく、IELTS8.5の人やケンブリッジの大学院を出た人、海外生活歴が10年とかあるすごい人でも、かなり日本人チックな発音のままです。というか、マレーシアの現地人とかも訛りの関係でそれに近いです。
そういう人を見て、意外とコミュニケーションにおいては発音が第一というわけではないし、世界には色々な英語があるのだということに気づかされました。
ただ、そういう英語ができる人という理想像にバイアスがかかっていると、ついカタカナ発音の人を冷ややかな目で見てしまうのかもしれません。
言われた側も気にする必要はない
そして、この問題の恐ろしい所は、それが原因で英語学習のモチベを失う人がまあまあいるということです。確かに、せっかく頑張って英語を話そうとしたとたんにバカにされてしまうようではやる気を失うのも頷けます。
ですが、(言う側が悪いですが)言われた側の人もわざわざそんなことで落ち込む必要はありません。
そもそも論、どう考えても英語を頑張ろうと努力しようとすることは素晴らしいことだし、それをバカにするほうが間違っているに決まっています。
しかも英語ネイティブにバカにされたのならともかく(そんなことしてくるネイティブとは関わらなくていいです)、どうして日本人にバカにされて気にする必要があるのでしょうか。
大体の日本人に対しては「でもお前も英語雑魚いじゃん」というブーメランが刺さりますし、言われた側も言われた側でそんなことは気にせずに頑張り続けましょう💪
イッテQの出川イングリッシュに思うこと
この話をすると思い出すのが、世界の果てまでイッテQの出川イングリッシュです。
こちらは出川哲朗さんがアメリカなどの街で英語を使ってミッション(目的地に到着するなど)を達成する企画です。イッテQの中でも人気な企画で、出川さんの話す英語の文法や単語レベルがゴチャゴチャしていて面白いです。実際に私も昔は大爆笑していました。
ただ確かに出川さんの英語を見ていると無茶苦茶なところもある気はしますが、ふと自分の英語やコミュニケーションに対する姿勢を見てみた時に、彼ほど勇気をもって会話を成り立たせようとする人はどれくらいいるのかという疑問が湧いてきます。
実際にあれでも毎回最後はちゃんと意思疎通ができていますし、ほとんどの人はあんな異国の地に放り出されたら何もできないのではないでしょうか。
ネイティブから見れば大半の日本人の英語なんて似たようなものでしょうし、あれをバカにできるほど英語が話せる人は、少なくとも日本にはあまりいないと思います。
私はそう思うようになってから、出川イングリッシュをあまり笑えなくなりました。
終わりに
今回は英語の発音をバカにされる問題についての自分の考えを書いてみました。結論、そんなこと言われようが気にしなくていいっしょ、ということが言いたかっただけの記事になります。
実際、世界中には様々な英語の発音や訛りがあって、それぞれが立派なコミュニケーション手段です。発音を気にしすぎず、自分の目標に向かって継続して努力することがより素晴らしい未来への一歩になると思います。
ただ、根本の問題はそういうのをバカにしてくる人たちそのものではなく、教育システム上の問題な気もしなくはないので、根深い問題だと思います。