インターネットを覗いてみると、日本の大学入試、特にペーパー試験にはアンチが結構いるみたいです。Xとかでも、「詰め込み教育」「一発勝負の理不尽さ」みたいな批判をよく見かけます。
確かに、受験勉強のあのガリガリ感、精神的に辛いですよね。日本の受験生には「こんなんやってられるか!」と思っている人も少なくないはず。
でも、海外の大学に進学した今、ちょっと視点が変わってきました。日本のペーパー試験、実は意外とフェアなんじゃないかって。今回は、なんで私がそう思うのか、ちょっと話してみたいと思います。
ここでは、日本の大学のいわゆる一般入試(ペーパー試験)と海外大学(主にアメリカのイメージ)の比較について書いています。まだ比率が少なめの日本の総合型選抜などについては触れません。

日本の入試アンチは意外と多い?
インターネットを覗いてみると、日本の大学入試、特にペーパー試験にはアンチが結構いるみたいです。先ほども書きましたが、「詰め込み教育」「一発勝負の理不尽さ」みたいな批判がよくなされていますよね。あと、「俺は古文は一生使わないのに、なんで共通テストでやらなくちゃいけないんだ」的な意見もありますね。
確かに、ひたすら暗記して、問題パターンを覚えて…ってプロセス、なんか機械的で息苦しい。マレーシアの大学に来てからも、日本の受験が嫌で海外の大学を選んだって人に何人か出会いました。
そういうフラストレーションが、ペーパー試験へのアンチ意見を増やしてるのかなって思います。特に、海外の比較的「自由な」入試システムを知っちゃうと、日本の方式が古臭く見える気持ちも分からなくはありません。
だからといって海外大学の入試が簡単というわけではありません(マレーシアはヌルゲーですが)👇

日本の入試がフェアだと思う理由
ですが、日本の入試は公平性の観点から見たらまだまだ捨てたもんじゃないなとは思っています。ペーパー入試自体がいいか悪いかは置いておくにしても。
以下、私がそう思う理由を説明します。
ペーパー試験は努力が結果に直結するから
日本の大学入試のいいところって、なんと言っても「努力すれば結果が出る」っていうシンプルさに尽きると思うんです。ペーパー試験は点数でバチッと評価されるから、勉強した分だけスコアが上がる。
頑張った分だけ、ちゃんと報われる感じがするんですよね。もちろん100%ではないにしろ、正しい方法で努力すればほぼ確実に合格に近づきます。
一方、海外の大学受験って、なんかふわっとした基準が多いんです。エッセイ、推薦状、課外活動、面接などなど、全部大事なんだけど、何がどれくらい評価されてるのかイマイチ分からない。しかも、面接官との相性とか、ぶっちゃけ運ゲー。
こういうことがあるから、海外大学の入試では頑張った人が必ず報われるとは限らない。アメリカの名門大学なんかになると、肩書きとかはメッチャ優秀そうに見える人でも、普通に運ゲーで落とされる。
でも、日本のペーパー試験なら、少なくとも自分の実力だけで勝負できる。これは地味にフェアなポイントだなって思います。

日本の入試は海外よりも環境格差が広がりづらいから
海外大学は偏差値的な頭の良さだけではなく、課外活動だったりもかなり受験に影響します。で、ペーパー試験の対策以上に、課外活動の情報量とかチャンスって都会と地方で環境格差が出やすいと思うんですよね。あとは家の所得とか。
例えば、アメリカだと都会のお金持ちの子供は高級なサマープログラムとかボランティア活動に参加して、めっちゃキラキラした履歴書を作れる。一方、地方の学生だと、そんなプログラムに参加するお金も情報も機会もないから、課外活動の欄がスカスカ…みたいな。
日本でも、塾や予備校に通えるかどうかは家庭の経済状況や地域で差が出ると思います。都会なら大手予備校のライブ授業とか受け放題だけど、地方だとオンラインか独学メインだったり。
でも考えてみれば、日本の受験って「参考書と過去問さえあれば割となんとかなる」みたいなところがあると思います。
武田塾が提唱しているような、「○○大学に合格するためには参考書のこれをやればいい!」的なルートもインターネット上で開拓されつつあります。そういうのは当然、海外大学の受験にはありません。
もちろん、日本の入試でも環境格差が全くないとは言えません。でも、海外の受験みたいに「課外活動の実績がないと話にならない」みたいなハードルがない分、個人の努力で環境の格差を乗り越えやすい気がします。
一発勝負の試験のメリットデメリット
もちろん、日本の入試が完璧かって言われると、うーん、って感じもあります。
一発勝負は本番しくじったら死ぬ
特に、共通テストとかの一発勝負感はキツい。緊張して頭真っ白になったり、当日体調悪かったりしたら、もう終わり。実際、私も模試では英語とか満点近く取れていたのに、緊張で眠れなくて本番は60点でした(←よくそんなんで海外大これたな)。
「本番でのパフォーマンスも実力のうち」って言われれば、確かにそう。ですが、IBSとかいう病気持ちの人としては、緊張が怖いので一発勝負は勘弁してほしいです。
浪人とかしている人だったとしても、一発勝負のせいで一年間の努力が水の泡になることもあると思います。

共通テストを複数回受験可能に使用
特に共通テスト。改善案として、SATみたいに複数回受験できるようにしたらいいのにな、とは思います。
アメリカ版の共通テストと呼ばれるSATって、年に何回か受けられて、最高点を使えるんですよ。一回失敗しても「次がある!」って気持ちでリカバリーできる。精神的にもラクだし、実力を出しやすいんじゃないかと思います。
複数回受験になると、受験料とか移動費でまた格差が出るかもしれないので、そこは課題かもしれません。でも、一発で人生決まる感が減るのはデカいと思います。

一発勝負なのも、フェアと言えばフェア
でも、よくよく考えると、この一発勝負のシステムもある意味フェアなのかもしれません。
だって、内申点とか普段の積み重ねが関係ないから。海外の大学だと、高校3年間のGPAとか課外活動の積み上げがモノを言うけど、日本の入試は「今、この瞬間」に全力を出せばいい。
過去のサボりとか関係なく、やる気さえあれば当日の頑張りで挽回できるって、実は結構公平な仕組みなのかもしれません。


日本の大学は透明性が高くて、誰にでも門戸が開かれている
海外の大学受験について少し知ってみて思ったのは、日本の入試って、めっちゃ「透明」だなってこと。
海外だと、総合評価って言っても、何がどう評価されてるのか、ぶっちゃけブラックボックス。
でも、日本のペーパー試験は問題と解答が公開されてて、点数で合否が決まる。シンプルで分かりやすいし、誰でも同じルールで戦える。この「誰でも挑戦できる」感じ、実はいい方式なんじゃないかなと思います。
海外の大学だと「コネ」とか「親の財力」がモノを言うケースも、ぶっちゃけゼロじゃない。日本でもそういう話がないわけじゃないし、「大学側が女性だけ合格しづらいように点数調整をしていた」なんて話もたまーに耳にする。
けど、ペーパー試験は少なくとも「実力勝負」の場として機能しているほうだと思います。努力次第で、どんなバックグラウンドの子でもトップ大学に食い込める可能性がある。これは、日本の入試の隠れた魅力だと思います。
終わりに:フェアさの再定義とこれからの入試に期待すること
フェアさって何だろう、って考えると、やっぱり「機会の平等」と「結果の透明性」だと思います。
日本の大学入試は、完璧じゃないけど、この2つを意外とちゃんと押さえてる。海外の受験について少し詳しくなった身だからこそ、日本のシステムの良さがちょっと見えてきた気がします。
もちろん、テストの複数回受験の導入とかのもっと柔軟な仕組みがあってもいいと思うけど、今のペーパー試験の「努力が報われる」精神は、結構いい線いってるんじゃないかなと思います。
これから日本の入試がどう変わっていくのか、ちょっと楽しみではあります。もっと公平で、でも受験生の負担が少ないシステムになればいいなって。海外から見ると、日本の入試はそんなに悲観するほど不公平でもないよ、って言いたいです。