学校の先生、特に大学進学という大きな人生の節目を挟む高校生を指導する高校の教員は、ほとんどが学部卒業後にそのまま学校に勤務しはじめた人が多いと思う。
ただ、私が高校生の時には、院卒だったり教員以外の社会人経験者の先生がもっと増えて欲しいな~とも思っていた。
- 院卒のが先生のほうが学問の面白さや研究について生徒に熱をもって語れると思うから
- 学部卒業後、学校以外のコミュニティで仕事をした経験がある人間がいたほうが、職場の雰囲気が偏らないから
である。今日はそのことについて思ったことを書いていこうと思う。
この記事はこの前高校を卒業したばかりのガキンチョが執筆しているためあまり現実的ではない面もあるが、実際に一生徒として私が高校生の時に思っていたことなので忘れないように書いておくことにした。
院卒の先生ってカッコいいよね
研究の面白さが伝わらない
まず、高校生に、受験における学問の知識や技術を教えるのは別に学部卒でも構わないし、全然可能だとは思う。
ただ、学問そのものに対する愛やその魅力を伝えられるという意味では、院卒の教師に分配が挙がると私は考えている。
今は文科省の計らいでどの学校でも「総合的な探求の時間」的な授業がある。私の母校でも当然そのような授業はあり、興味のあることについて自由に研究してレポートを書くというカリキュラムが組まれていた。
私はGSCに参加していた経験があり、研究って面白い!ということを分かっていたため、自主的に進んで研究活動に時間を費やしていたし、結果としてある科学研究コンテストで全国一位になったこともある(その時は音声工学の研究をしていた)。
だが普通の高校生はこんなものに興味があるわけない。だって研究&レポートって、そもそもどうやってテーマ設定をしたらいいの、とか今まで教わってこなかったんだもん。これは現状の学校教育の問題でもあると思う。
そのため、「研究って面白いんだよ!」と高校生に伝えることは先生の重要な仕事の一つであると言える。
なぜと言うと、現状だと高校生はこういう研究活動そのものに興味を持つことが無いため、どの学問に興味があるのかも分からないまま大学・学部選びをすることになり、テキトーな大学生活を送ることになるのである。
その結果、日本では大学院の進学者が少なかったり、学部の出身大学名で出世が決まってしまう世の中になっているのだと思う。
要するに私は学問の面白さや情熱を生徒に伝えられる先生が増えないと(教育システムを改善しないと)社会をリードするような人材が生まれてこないので、社会が進歩することはないだろうと思っているのだ。話すと長いので、それについての意見はこちらの記事に譲ることにする。
現代の教員の実情
しかし、母校の先生はほとんどが学部卒で、あまりそういった学問の面白さは伝わってこなかった。学部レベルの専門的な相談ができそうな先生はいなかったし、なんならCitation, Referencesの書き方や論文のフォーマット(数字は半角で書くことなど)についてもあやふやな人が多く、とてもそれどころではなかった。
こういった先生たちは、もしかしたら自分の専攻についてなら少しは語れるのかもしれないが、それでは学問に対しての魅力を高校生に伝えるのは相当大変な気はする。これは高校に限らず、中学の総合の時間でも感じていたことだ。
もちろん先生方には大学卒業後のブランクがあるにせよ、GSCやオープンキャンパスで大学院生と話をした時のほうがよっぽど楽しかったし、有意義だったと思う。彼ら(特に博士課程の人)は話をしているだけでその学問に対する熱意が伝わってくるし、どんな質問をしても答えてくれるので、とてもカッコイイなと思っていた。
とはいうものの、母校でも院卒だったり研究を個人的に頑張っていた先生は数人いた。そういう先生とは話をしていて盛り上がった記憶はある。そのため、やはり院に進んでいるのかどうかが大切なのかもしれない。
こんな具合で、大学受験の問題を解けるかどうかといった表面上のことではなく、根本的に生徒が学びに対する愛を持つように仕向けるのは簡単なことではないのだ。
そのため、高校生の頃に流石に博士までとは言わないが修士の先生とかがもっと増えてほしいな、と思ったりしたのである。
学校の価値観改革にもなる
私の母校が田舎だったからかは分からないが、先生は基本的にその母校の卒業生だった。高校卒業後、県内(たまに県外)の大学の教育学部を卒業した後、新卒で母校に勤務するというパターンの先生がほとんどだったし、おそらく先生になりたいと言って教育学部に進学した私の同級生もそうなるのだと思う。
これ自体は良いのだが、あまりにも先生の人生のバックグラウンドが同じすぎると、職場としての学校の価値観や雰囲気が固定されてしまうと恐れがあると思っている。
新卒の段階から他の会社に配属されたことがないとなると、当然社会人として経験する所属コミュニティは同じ学校の先生間の職場のみとなり、外の世界や会社に商談などをして触れる機会も少ないだろう。
しかも職員室を覗いてみると感じると思うが、私の目にはなんとなく学校の先生コミュニティの内部には独特の上下関係、雰囲気、ルールなどが存在しており、若干雰囲気として柔軟な組織ではないように見えた。
そういう人が悪いとは言わないが、やはり閉じたコミュニティにしか所属していない人ばかりが指導者だと、生徒としても考え方が狭まってしまう恐れはある。
しかも、夢や進路がまだぼんやりとしている高校生の進路相談に乗る上という面から見ても、一度別のところで社会人を経験した人のほうが人生経験が豊富になり、アドバイスがしやすいのではないかと思う。
とはいうものの、先生も労働環境はかなりブラックなようで、大変だなと生徒ながらに見ていて思った。
もっと労働環境を改善すれば近年問題になっている教員志望者も増え、外部からも様々なバックグラウンドを持った先生が入ってくるのではないだろうか。
ただでさえ教員不足となっているのに大学院卒がいい!などと言うのはあまり現実的ではないことは分かっている。
ただ、それでも高校生の時の自分はこうなったらいいのになと思ったのは紛れもない事実なので、その時の気持ちを忘れないように記事にしてみた。